識字教室で学んで村長、区長になりました!

チュバアンポー地区 地区長 ポウ サレウンさんへのインタビュー

 私は1995-1996年にコンポンチャム州バティエイ郡チュバアンポー地区のトゥールチャン村で開かれた識字教室の生徒でした。それ以前1986年にも女性の能力開発NGOの識字教室にも参加しました。今47歳で2人の息子と1人の娘がいます。私が識字教室に参加する時は、夫が家事と料理を手伝ってくれました。彼は地位のある役人ですが、私を尊重し、私の価値を認めてくれたと思います。ですから、私は家庭と社会において良い人間になるために最善を尽くさなければならなかったのです。
 私の経歴についてお話しましょう。民族虐殺時代の1975年に私はルセイケオ技術学校の学生でした。そこで午前は読み書き、計算を勉強し、午後はラス(木摺)やその他の材料の使い方を学ぶ作業室に行きました。しかし1979年にポルポト政権が崩壊した後、この地区に移動して来なくてはならず、習ったことのすべてを忘れました。そこで女性の能力開発NGOの識字教室で学ぶことにしましたが、読み書き、計算はまだできませんでした。幸運なことにASACが私の地区で識字教室を開いたのでもう一度入ることにしました。ASACは十分な文具を支給してくれ、教室が終わった後に生徒を訪問してくれました。そして夫は教室終了後毎日説明してくれました。このため、私は習ったことを忘れませんでした。しかし、多くの生徒は習ったことを忘れてしまうので、この問題を解決できる一つの方法はASACがミニライブラリを設置して十分な読本を提供することだと思います。ASACの識字教室で知識を得たので、私は地区の選挙に立候補することにしました。そして希望がかなって地区長になることができました。ですから、私はASACが自分を識字者にしてくれ、性差による問題、衛生、食物などの知識を与えてくれたことに心から感謝を申し上げたいです。そして私の知識を地区の開発に役立てることを約束します。

トゥール村 村長 ニェウ トウさんへのインタビュー

 私は2005-2006年にコンポンチャム州バティエイ郡バティエイ地区のトゥール村で開かれた識字教室の生徒でした。ASACの識字教室に参加した後2007年に私は村長になりました。貧しくて他の子供のように学校に行ったりすることのできなかった私が村長になるなんて驚くべきことです。そのころは校舎などなく、男子だけがお寺で勉強することができました。今私は62歳で9人の子供がおり、そのうち4人は中学校、3人は高校、2人は大学を卒業して、教師と銀行員になった子もいます。私は自分が非識字者だったので、それがどんな困難をもたらすかを知っていました。だから私は自分の子供たちが私のようになってほしくなかったので、村にたくさんの兵士がいて学校が家から遠くても子どもたちを学校にやろうとしました。ASACの識字教室に参加する前は読み書きができなかったので、子どもたちが何か分からないところがあっても教えるのが本当に大変でした。識字教室に参加してからは子どもたちに教えることができるようになりましたが、計算はあまり早くできません。幸いなことに当時夫はASACの識字教師で教室は自宅で開かれたので、出席することはそう難しいことではありませんでしたが、少し暗いので読み書きのために懐中電灯を使いたいと思いました。
 何人かの生徒たちは難しいと感じて授業についていくことができず、読み書きができてもできなくても違いはないと考えてしまうために非識字者のままでいますが、私は本当に勉強したいのでだいじょうぶです。識字教室は私に衛生的に暮すこと、食物の長期保存の方法、野菜、果物を食べる前に洗うこと、性差による問題などについて教えてくれました。識字教室終了後、生徒が習ったことを忘れるという問題がありますが、非識字者を減らすための案として、政府が非識字者の程度によって金を課す新しい法律を作ってはどうかと思います。それを恐れて一生懸命勉強するでしょうから。
 最後に私の地域で識字教室を開いてくれたASACにお礼を言いたいです。私が識字者になる機会を与えてくれて、今日のように村長になることができました。そこで私は、私の村で識字教室を継続して開くこと、トゥール村はへき地で多くの村民が学校を退学して非識字者なので、可能ならば今年3クラスを開くことをASACにお願いしたいです。彼らはマレーシアに出稼ぎに行かなければならないのです。