還暦サイクラー

藪 由紀子(柏市)

 ある昼下がり地球の重力に逆らいもせずたるむわが身を姿見に発見。毎日のお家庭(うち)居酒屋の副産物であることは明らかなり。お財布と相談するとエステや瘦身術は却下された。子供自転車とママチャリ専門の角の自転車屋の二代目にアメリカ製のクロスバイクを取り寄せ組立ててもらった。週末には手賀沼、印旛沼、時には車に二台を積みこんで涸沼や猪苗代湖。私の住む千葉県東葛地域は水が豊富な美しい里山に近い。ある時は手作り弁当とワインを携え湖畔でブランチと昼寝。ある時は湖畔ならではの鯉の洗いと鰻のかば焼き。我家のモットーは凝らない自然体(?)。ヘルメットとスパイダーマンウェアでかためた中年ライダーにはすれ違い様に横目でみられるほどいい加減なオーラに満ち溢れている。あくまで汗をかいて目的地で飲む一杯のビールと土地の産物を主眼とする。従って聡明な皆さまはお察しの通り当初の目的である減量には何の寄与にもなっていないという矛盾だらけで還暦を過ぎた。

タケオで結婚しました

川嶋 豊(近江八幡市)

 みなさんこんにちは。私はASACの会員の川嶋豊です。平成22年10月24日にカンボジアのタケオ県アンタソン村で結婚しました。プノンペンから車で2時間の所です。妻の名前はテープ・チャンダです。みなセーダと呼んでいます。
 私が初めてセーダさんと会ったのは2年前です。母の知り合いのカンボジア人、大澤セーラさんが里帰りする時一緒に行きました。セーラさんとセーダさんは従姉妹です。実家には100歳のお祖母さんがいて牛を飼っていました。4月で庭にはマンゴーがたくさんなっていてそれをセーダさんと一緒に取りました。それから一緒にカンポットに行きチュムクリエル寺の岡村眞理子さんのお墓に2人で線香を立てました。その後ケップ海岸に行き、2人で言葉も分からないまま海で泳ぎました。
 プノンペンに戻り、亡くなった岡村前理事長と同じホテルでビールを飲んでいると、岡村さんが「この国は仏教の国なので2人で海で泳いだら、結婚しなきゃ」そして、「結婚式はASACの開校式の時に学校の近くですれば、お客さんがいっぱい来るのでにぎやかで良いよ」と話していました。岡村さんはカンポットに行く時に、3号線近くにあるセーダさんの家に寄ったことがあると言っていました。この時はセーダさんと結婚を決めていませんでした。1週間の滞在を終え帰る時、セーダさんが空港まで見送ってくれました。2人で取ったマンゴーをお土産に渡され「今度は、何時来るの?」と聞かれました。私は「分からない」と答えましたが、セーダさんが手を振っているのを見て少し涙が出てきました。
 日本に帰ってセーダさんがいないので寂しくなりました。周囲の人たちも結婚を勧め、私たちの結婚は決まりました。タケオで式を挙げることになり、少しずつ準備を始めました。
 式には日本から8人が来てくれました。タケオは1ヶ月前に大雨が降りセーダさんの家の周りには池ができていて子供たちが水遊びをしていました。私たちの頼んだミニバンもタイヤが泥に埋まって20人で引っ張り出しました。式には村の人全部が集まったような感じで、村長さんがテントやテーブルを用意してくれました。8時間もかけて親戚の人たちが結婚式の食べ物の準備や手伝いに来てくれました。式はお坊さんを呼び2日間続きました。私は汗が流れてびしょびしょでした。ASACの駒崎さんが傘持ちと汗拭きをしてくれました。人が多すぎて食べ物が無くなるとセーダさんのお父さんがバイクで町まで買出しに行きました。
 翌日、タケオの市役所で2人で結婚届を出しました。けれど、結婚証明書はもらえませんでした。そして直ぐに新婚旅行にアンコールワットに行きました。アプサラのショーを見て1日でプノンペンに戻りました。次の日、日本大使館に行きセーダさんの出国申請をしました。日本に帰る時、空港まで送りに来たセーダさんは泣いていました。「私を何時迎えにくるの?」と聞かれたので「来年の5月」と言って、日本に来る片道切符を買い渡しました。帰国して1週間後、結婚証明書が届き、翻訳して日本の市役所で入籍しました。今後は3月頃セーダさんの上陸許可がおり、5月に迎えに行く予定です。
 今頃、セーダさんは稲刈りで忙しいと思いますが、たまに電話すると、「私のことわすれたの?早く迎えにきて」と覚えたての日本語で言います。私たち2人は不思議な縁で結ばれましたが、これからもカンボジア人と日本人のカップルが生まれるよう願っています。これからも私たち2人をご指導ください。