大澤せいら 「カンボジアに生まれて」(後半)

 前回に続き、会員の大澤せいらさんが2013年3月19日に国際ソロプチミスト近江八幡で行った卓話の後半を紹介します。

内戦が終わって

 戦争が終わってから、親戚を転々として、最後はお父さんの実家で生活しました。タケオのアンタソン村です。おばあさんが生きていました。名前はサンボウです。私の娘の名前はおばあさんの名前を付けました。私は朝6時に野菜を売ってから、学校に行きました。私の兄弟3人の中でお姉さんが生きていました。ポルポトは大体10歳位の女の子は売られます。でも、姉は生きていました。おばあさんの家を探して、私と再会しました。弟は小さかったので戻って来ませんでした。姉の名前はチャンリナ。弟の名前はタンです。

岡村まりこさんに会ってASACに

 私は18歳になってからプノンペンのダイヤモンドホテルで5年間仕事をした時アンタックの親戚の人に岡村まりこさんを紹介されました。 NGO ASACの事務所で働くようになりました。プノンペンで私は住む所がなかったので、岡村代表の借りた家で日本から連れてきた猫の世話をして泊めてもらいました。ノロドム通りの事務所にはホンダのバイクで通いました。事務所には、私と同じように家族を殺されたボラミーさんがいました。それから、少し脱線しますが、カンボジアの昼休みを御存知ですか? 12時から14時までは仕事はないです。皆さん、家に帰ってご飯を食べて、昼休みをしてから来ます。他の会社もそうです。銀行は3時で終わりです。私は帰る家がないので、とりあえずお弁当を食べて、事務所の中で休みました。事務所の入りロの扉は3枚あって、鍵は6個あります。安心です。NGO ASACはカンボジアの田舎の方に学校を建てました。長い聞、学校に行けなかったので、皆さんうれしそうでした。

私の夢

 私はお金を貯めて、故郷にラーメン店と図書館と病院を建てたいです。町の子どもは本とノートがありますが、田舎はありません。田舎の子どもは字が書けない人が多いです。
 私はカンボジアであったことをわすれません。助けてもらった人も忘れません。カンボジアはもう少し皆さんの助けが必要です。皆さんから頂いた服は少しずつ持って行って学校とかゴミ山の子どもとか親戚に渡しています。これからもよろしくお願いします。でも、一度でいいから直接持って行って渡してください。みんな、喜びます。
 色々、話したいことがありますが、これで終わりです。
 最後に市場で赤ちゃんを売っている写真を撮って来ましたので、見てください。母親が子供を大事に育ててくれる人かどうか、見分けています。
 皆さん、ありがとうございました。お体を大切に頑張ってください。