1995年3月28日には、第1校目であるツールポンレイ小学校がスタンケオコンミューンで開校しました。内戦で学校施設が破壊されて以来教育不在のまま年月が経ち、非識字率も格段と高い地域でした。貧しい村人には学校を再建する力はありませんでした。道とて満足になかったその村に、鉄骨コンクリート・レンガ積みの5教室学校が建ちました。村は、学校建設をきっかけとして地域の改良事業に独自に取り組みを始め、活気を取り戻し始めました。その後も、各地から寄せられる学校建設の要請に対し、優先順位の高いところから学校建設支援を続けています。

建設の経過

建設委員会を開き、机や椅子を村の人が作り買い上げること、就学児童の数の調査、資材運搬についての牛車の提供協力などについて話し合う。村人よりポンプ式井戸の要望があたっが、会の予算の都合上、水タンクを作ることになる。 その後、建築契約を村民の前で読み上げ、建設委員会のメンバーと、各村の代表一人ずつが契約書にサインをする。

村民は、休日もなく働き、また現場の監督・指導にあったっていた建築家二人も片時も現場を離れることなく頑張っていた。 机も二人用から四人用にするなど村民が知恵を出した。(ちなみに開校式には、8人の子供達がひとつの机に座っていた)道路造りも、子供・大人が総動員で約250人が参加し、みな手作業で一日で150mほど整地されていった。

学校建設がひとつのきっかけとなり、村人の活力を引き出し、みんなで考え、協力する方法を彼等は学んできた。 自立を助けるための活動の原点を見る思いがして、私達も多くの事を学ばせてもらった。

開校式

1995年 3月28日
山間の貧しい村にカンポットで一番素敵な学校ができ、村では4日間にわたってお祭り騒ぎだった開校式に先立ち、 日本からの参加者(ASAC会員)17名が学校の周りに、ココナツ椰子の木を植えた。椰子の実をつける6〜7年後には、村の人々の生活ももっと良くなっていることを祈らずにいられない。

式では、州知事など地元関係者を迎え、日本で寄付や、協力をいただいた方など700名ほどの名簿とともに、学校の贈呈式が行われた。 生徒にはJIRACより小黒板、東南アジア文化支援プロジェクトより書き方練習帳も寄贈され、会よりのノート、ボールペンとともにプレゼントされた。

教室では、黒板に書かれた学校の名前をまねて小黒板にチョークを走らる。 窓から身を乗り出さんばかりにのぞき込んでいる親たちも入学したいともらす。大人の識字教育も今後の事業のひとつとして取組むことの必要性を感じながらの開校式であった。

ツールポンレイ小学校の場合

1・・・学校建設地
  カンボジア・カンポット州・カンポット郡・スタンケオ地区・アンルンマップラン村
 
2・・・登録就学児童
  1年・約300人 2年・約50名 3年・50名  計約400名
 
3・・・学校規模
  9m×40m 5教室一棟
  レンガ積みモルタル仕上げスレート瓦
 
4・・・工期
  1994年11月20日〜1995年3月20日
 

トマイ小学校の場合

リャックソマイケマラ小学校の場合

サムラウン小学校の場合

コッツナ小学校の場合

       1・・・学校建設地
           カンボジア・カンポット州・カンポット郡・コンポンサムラウン地区
       2・・・就学児童数
       3・・・4教室新築  レンガ積みモルタル仕上げ瓦屋根
           4教室のうち、ASACが2教室、村民が2教室を建築した。
       4・・・1996年6月完成・12月15日開校式

<学校建設終了後の感謝の手紙より>

・日本の寄付者に心より感謝申しあげます。愛着を感じるスタイル、装飾・強く頑丈な建築様式と共に、その美しさを国道4号線沿いに現しました。この学校は子ども達の勉強の質を向上させまた、彼らを無知から開放することに役立ちます。この大変すばらしい寄贈は、日本とピクニルの村民の心温まる贈り物として、末永く心に留めておきます。(ピクニル村長:タイン・ダル)

・もし私たちが日本からの支援や寄贈を受けなかったら、古い校舎はいずれ崩れ落ちたことでしょう。そしてこの貴重な贈り物は、生涯いつまでも私たちの心の中に、残るでしょう。(クニタケ小学校長:コンバンロ)

・全てのカンボジアの人々とカンボジア国家が教育分野の発展を熱望している中で、ASACの活動は、非常に親切で重要でまた充分なものです。私たちは、ASACと最高に素晴らしい関係を保てていることに、大変満足しています。(カンポット郡政府)